「男の人は女の子のなにを見て興奮するんだ…」
僕のところに送られてきた、とある一通のLINEメッセージ。
この一文を受けてこの記事に書こうと思い立った。
まず、興奮するというのはどういう状況のコトを差すのか。
手元にあった国語辞典を引用すると刺激を受けて感情が昂ぶることらしい。
そもそも感情というものは人間の本能に起因するものであるので、女の子に興奮する原因はそういった「本能」と何かしらかの関係があるに違いない。
そこで僕が目に付けたのは、カリギュラ効果と呼ばれる心理である。
このカリギュラ効果というものは、禁止されると余計に気になってしまうという効果のコトを差し、分かりやすい具体例を揚げるのならば
例
誰にも言うなよと言われると誰かに言ってしまいたくなったり、
絶対に見るなと言われると見たくなってしまったり
というアレだ。
ここで一つの可能性を立てた。
女の子の「恥じらい」という感情は、カリギュラ効果における「禁止」に当てはめるコトが出来るのではないか?
つまり、女の子が羞恥を抱いているその姿にどこか背徳感の様なものを感じ、興奮するのである。
仮にの話として、一つ考えていただきたい。
まずあなたの好みの容姿を持つ女性を頭に思い浮かべていただきたい。
その女の子が何の表情も持たずにただただ一切の衣服を身に纏わずにいる姿を想像して欲しい。
……あなたはこの女性を見て興奮するだろうか?
恐らくはしない、もしくはほとんどしない、であろう。なぜ興奮しないか、そこに「恥じらい」がないからである。
次に、その女性が衣服の一切を剥奪されて顔を赤く染め、伏し目がちに目をうるうるさせながら手で身体を必死に隠しているところを想像して欲しい。
……あなたはこの女性を見て興奮するだろうか?
恐らくはYesと答えるコトだろう。
なぜ興奮したか、そこに「恥じらい」があったからである。
この二つの例を踏まえればあなたにも分かっていただけたかと思う。
女の子に対する興奮という感情は、突き詰めると究極的に恥じらいである
という事実に。
一般的には、
男の人は裸の女の子に興奮する
と思われているが、それは間違いである。
正しくは
自分のあられもない姿を異性の前に晒している、という自らの置かれた状況を客観的に捉え、そのコトに対して羞恥を抱いている裸の女の子
に対して興奮するのである。
恥じらいのないところに興奮はない。
NO 恥じらい NO 興奮
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